まず汚言症とはトゥレット症候群の一種チック病である。


トゥレット症候群とは?

脳内のドーパミンの多量放出が原因とされ、男子に多い。平均6から8歳、遅くても14歳くらいに発症する病気である。 まばたき、首を振るなどの言動があり、咳払い、鼻ならしなどの音声チックの症状、さらに不謹慎な言葉を無意識に言ってしまう症状があります。日本でも珍しく診断できる医師も少ないのである。

汚言症の生徒と一緒だった学生時代。

僕が高校の時に彼はいた。

まあ、彼が明るいキャラだった為彼は余計誤解されていた。因みにこの病気の恐ろしいところは、勝手に言葉を発してしまうところなのだ。
彼はどんな奴かというと、明るくスポーツ万能で、勉強は出来なかったが皆の人気者だった。
しかし、彼は一つの病気があった。
それがトゥレット症候群の汚言症だ。

彼との出会い。奇妙な行動。



僕の高校は中高の奴らがほとんど来ないところだった。
それなので、友達関係など一からやり直しになった。
高校一年生で僕は彼と出会った。
彼は見た目は普通の高校生だが動きが普通の人と違っていた。
まず、彼は最初グルグル机の周りをまわっていた。
僕は最初見た時「少し障害を持った人なのかな?」と思っていた。
それなのであまり彼について触れないようにしていた。
この時僕は、全くのど田舎の中学校だったので、世の中には変わった奴がいっぱいいるんだと思っていた。
因みに、最初はみんな初対面なので仲良くないので、あまり彼に関して何も言わなかったです。
みんなもおかしな行動した奴がいるなくらいに最初思っていたと思います。

そして、彼は皆から笑い者になった。


どんどん月日が経つと彼がどんな人かだんだん噂になってきた。
あれはチック病だよ。とみんなが言っていた。とにかく彼は机の周りをまわっているのだ。
それで、「ほっ、ほっ」など奇妙な声を出していた。しかし、彼が得なのか損なのかはわからないが非常にキャラが明るくバスケ部で活躍していたので、人気者でした。
この頃から、僕は彼と話出したのですが、普通に面白い奴でした。だんだん彼がクラスでなじんでくると、彼の奇声は物凄い大声になっていきました。
「ほっ、ほっ」から「けし」になっていきました。
テストの時など全校に響き渡る大声で「けし」と彼は叫び続けていました。
因みにけしの意味はあとから聞いたら彼が通っているヘアーサロンけしという床屋だったらしい。
まあ、彼が奇声を出す度にみんなが笑うので、彼は全校から当たり前ですが有名になりました。

進化するトゥレット症候群


クラスも半年が経とうとしたところ、彼の奇声に変化が見られました。
彼は「けし」から「のぎようこ」と叫ぶようになりました。クラスのみんながのぎようこって誰?と当然疑問に思って彼に聞いてみたところ、彼は知らないと言ってましたが誰かが調べたところ、他校の女子でバスケのマネージャーに、野木陽子という人がいたらしいです。
では、なぜ、その名前を叫んだかというと、恐らく彼が好きな女性なのではないか?という説が浮上しました。
自分の好きな女性を思春期に全校で公表するとは、本当に恐ろしい病気だと思いました。

そして、トゥレット症候群は汚言症となった。


彼の症状はだんだん進化していきました。その後のぎようこの〇〇など、放送禁止用語を連発するようになっていった。野木陽子さんの性的な部分を授業中に大声で叫ぶわけなので、これは、テスト時間など、もちろん大爆笑になり、当然PTAなどでも問題になりました。
しかし、彼は毎日放送禁止用語を炸裂し、皆から笑われていました。
この時、本当に運が良かったのは、彼が明るくて細かいことを気にしない性格だという事です。
普通の人ならもう恥ずかしすぎて学校に絶対これません。
これが高校3年間続きました。
因みにのぎようこは1年で終わりました。恐らくフラれたか興味がなくなったのでしょう。
その後高校3年間ずっと放送禁止用語連発の生活が続きました。
中には、女性の先生の性的な部分を大声で叫ぶのでそれが原因で辞めて行く女性の先生もいました。
しかし、人間の慣れとはすごいもので、女子も男子も気にしなくなりました。
しかし、僕のお母さんなど、授業参観の時など凄い恥ずかしかったです。
彼はその後就職をしましたがその病気は風の噂で治ったとの事です。

この病気の気をつけなければならない事


この恐ろしい病気の良くないのはデリケートな女性などを傷つけてしまう事です。
男子は比較的笑ってしまっていいのかもしれませんが、女性はセクハラに近いです。しかも、この病気の彼は本当は恐らくすごく傷ついたはずです。
だって、皆から変な目で見られるのですから。
何度も書きましたが彼が明るい奴なので大丈夫でしたが、性格が暗い奴なら間違いなく学校にこれなかったでしょう。
ですので、もし、今彼に偶然会ってもあの時の病気の事は絶対に僕は言わないでしょう。

実際に彼と3年間生活した感想。


僕は思春期の真っ只中、放送禁止用語が飛び交う中で生活をしたわけである。
その中で僕は笑い上戸なので、彼が発作が起きる度に笑ってしまっていました。
また、友達の家など遊びに行く時も他の親から彼の悪口を聞かされた。
まあ、どの親も教育においてそんな環境なら彼を嫌な目で見るだろう。
僕は正直彼と仲良かったし、良いのか悪いのかはわからないが彼と3年間同じクラスだったので、彼の病気を間近で見ていた。だが女子などは、あまりに卑猥な言葉が炸裂する為泣いていた女の子もいた。彼は障害者ではないしいい奴なのだが、様々な人を傷つけていた。もちろん彼本人も傷ついただろうが周りも本当に不幸になってる人もいた。

僕がこの病気を通して伝えたい事。


この病気は必ず笑う。それはしょうがない。考えても見てもらいたい。静まりかえった教室でいきなり放送禁止用語が炸裂するのだ。笑わない訳はない。
しかし、それで僕らは面白いが傷ついている人もたくさんいるのだ。
本人は言いたくもない言葉を発するのだ。自分が嫌になるだろう。またそれを聞いた思春期の女子なども嫌な気持ちに当然なるのだ。
この病気を経験してから僕が思ったのはその病気の当事者になった気持ちで考えるという事だ。
僕はもし、その病気になったらこうされたら嫌だな!と考える。
思いやりを持つことが大事だと思う。